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『ナイスピープル』―エイズ患者が出始めた頃のケニアの物語― (2) 第2章・第3章 ワムグンダ・ゲテリア著、玉田吉行・南部みゆき訳 (ナイロビ、アフリカン・アーティファクト社、1992年) 第2章 ケニア中央病院(KCH) 私の父アレックス・ロレンゾは最も厳しい時代を生きながら15人の家族を養ってきました。僅かしかなかった全てを6人の息子と7人の娘のために犠牲にしました。その大部分は子どもの教育に使いました。私が白衣を着て胸から聴診器をぶら下げている姿を見ながら、父の顔は光輝き、誇りに満ちていました。父は自分の激動の人生が絶頂期に達したと感じていたのでしょう。 ****************************** 私たちは7月の肌寒いその日の朝、タラを出ました。相変わらず、乗り合いバスはぎゅうぎゅう詰めでしたが、これが最後の乗り合いバスになるんだと心に誓っていましたので、嫌な思いもしませんでした。父親は多くは口にしませんでしたが、今度はきっと私が自分の車かオートバイでタラに帰って来ると期待していたようです。 シルベスター・オルオッチ教授は、イバダン大学からの私の書類を読み終えるとにっこりして、「そうか、ダンボは、大学の副学長になったのか。」と言いました。 「はい。正確には去年からです。ダンボ教授をご存知なのですか?」と私は答えました。 「1965年にマケレレ大学で一緒に教壇に立っていたんだよ。ビアフラ戦争が勃発したんで、奴は国に帰ってしまったがね。」と教授が言いました。 父親は、私を学校へ連れて行った時に昔からそうだったように、私たちが喋っているのをじっと見ていました。私が28歳の大人になっても、まだ世話の焼ける少年のように思っているらしく、医者の象徴とも言える白衣を着るのを手伝ったりするのです。私の手を握り、ナイロビで何をしても、タラを忘れるんじゃないぞ、と諭すのです。 「忘れないよ、父さん。すぐにまた会うさ。」と、私が念を押すと、父は帰って行きました。 「さて若いの、これから何をやりたいのか考えたかね?」とオルオッチ教授が聞いてきました。 「いえ、先生。脳神経外科も行きたいんですが、当分は勤務医でいこうと思っています。」 「私たちの管轄の第20病棟に、脳神経外科の患者が一人いたな。そこで始めたらどうかね。指導医はワウェル・ギチンガ医師で、君はその人に就くことになる。C棟にあるがね。」と、教授はそう付け足すと、私を出口の方に促しました。私は、密かに自分に誓いを立てました。 「ジョゼフ・ムングチ、キロンゾの息子。医学と化学の学士さま、お前は、この国で1番の脳神経外科医になるんだ!」と自分の胸に黙って誓いを立て、私は「愛しのロリポップ」を鼻歌で歌いながら、第20病棟のあるC棟に向かって、一人元気よく歩き出しました。 ギチンガ医師は、192センチもありギクユ人にしては大柄で眼鏡をかけており、少し吃音混じりで話をしました。40代前半だと思いました。 「で、君が、わ、私の、け、研修医だね。イバダン大学で学んだのか?ま、まさか、あの忌まわしいヒポクラテスの誓いをやらされてなければいいんだがね。」と、ギチンガ医師は続けますが、私の方は神経がぴりぴりし始めてきました。 「もちろん、やらされましたよ、先生、ここではやらないんですか?」と、ギチンガ医師からさっき聞いた異説に完全に面喰らいながら私は言いました。 「前にね、君、絞首刑執行人の話を読んだことがある。首に縄をかける前に、死刑囚にこう言うんだ。『刑を執行しても、囚人を更生させることも、残忍な傾向を抑えることも出来ないが、自分の子どもの生活の糧のためには、絞首刑も必要なんだよ。」と。すると、死刑囚は決まってこう言うのさ。『何ぐずぐずやってやがる、早いとこ俺らを吊して、尻の穴にキスしな』、とね。」 「でも先生、ここは病院で、刑務所ではありませんよ。」 「違うね、きみぃ。ここはね、自分のことを医療関係者だと名乗る、全てのいかれた連中の監獄だよ。一度放り込まれると、善悪の判断、知能、理性は消えて無くなるのさ。ロボットやコンピュータが引き継ぐ方がいいと思うことさえあるよ。私の言ったことを、よく覚えておき給え。でないと、第20病棟に足を踏み入れた日を後悔しながら君は生きることになるぜ。」 私は、ギチンガ医師がなぜ早々に第20病棟のことを諭すのかが分からずに戸惑いましたが、すぐ後で私は知ることになるのです。 ギチンガ医師は、病棟を案内して、最初は診察室に、次に看護師の詰所に私を連れて行きました。詰所では、青い制服を着た愛らしい20歳の女性に会いました。 「アイリーン看護師だ。」 「おはよう。」と、私は言いました。 「おはようございます。先生。」 「いや、まだ医者じゃないよ。」と、ギチンガ医師に訂正されて、私は恥ずかしい思いがしました。こういう風に、経験豊かな自分と研修医をしっかりと区別したかったのでしょう。それから2人は、患者を診に行きました。 「こっちはンジョグだ。ンジョグは髄膜炎の患者だ。あれは麻痺が回復中のオパップだ、小児麻痺の後遺症で時々軽い発作は起きるがね。ここでは先週、患者が1人亡くなった。しかし、いつものやり方でやってたら、あの患者は死ぬことも出来なかっただろう。」と、空きベッドを指差しながら、ギチンガ医師が言いました。 「何のことですか、先生?」と、私はこの変わり者の医師に更に興味がわいて尋ねました。 「今にわかるさ。」と、ギチンガ医師はそう言うと、第20病棟の一番奥の、カーテンで仕切られたベッドの所に私を連れて行きました。 ギルバートは生命維持装置に紐でくくられていました。もう22ヶ月になりますが、KCHでは最も有名な患者でした。交通事故で、脳と心臓と肺以外は、すべてが麻痺してしまっていたのです。鼻から食事を与えられ、肺で呼吸をしていますが、固形物は食べられませんでした。命を支えているのは呼吸器官と点滴だけです。話は出来ませんが、きらりと光る両目だけが生き生きしていました。頭を120度ほど左右に動かして、目をきょろきょろ動かせますが、それが自分の意思で出来る唯一の動作です。他は動きませんでした。22ヶ月もの間、第20病棟のベッドに横になり、神の手に委ねる以外にそこから逃れる術はなかったのです。 「ユーサネイジアを君はどう思うかね?」と、ギチンガ医師が聞いてきました。 「ユーサネイジア?」 「そう、ユーサネイジア、安楽死のことだよ。」 「聞いたことがありません。」と、患者の聞こえる所でそんな話をする気にはなれませんでしたので、私は嘘をつきました。 「ダンボ教授は、医療倫理について話をしたことはないのかね?」と、ギチンガ医師が尋ねました。 「中絶、試験管ベイビーについては講義をして下さいましたが、殺人に関する講義は1度も無かったです。」と、私は嘘を重ねました。 「いいかね、ここにいるギルバートは死にたがっている。投薬をする時はいつも、怒りで発狂しそうに見える。感じているはずの切なさから自分を救ってくれと、ギルバートの目が訴えてくるんだ。しかし、敢えて誰もその懇願に応えようとしない。人間の命は奪わないと誓ってしまえば、こういったケースが非常に難しい決断になることもある。」と、ギチンガ医師が諦めたように言いました。 「しかし私たちは、痛みを長引かせないとも誓ったはずですよね?」 「そうさ。しかし、人間に何が出来る?」と、ギチンガ医師は力なく答えました。 オランダはこのような現実を受け容れていましたが、私たちが違う立場に立っていることもわかっていました。しかし、ケニア中央病院もいつか現実に目覚めてほしいと心から思いました。 これが、この病院の指導医が言うところの、我が入獄の第1章だったのです。規則を遵守するのを無視した方がいい場合もあります。希望もないのにギルバートにだけ使うので生命維持装置が足りなくなって、これまでに11人の別の患者がどういう風に亡くなったかを、私はギチンガ医師から聞かされました。看護師や研修医は皆、第20病棟での夜勤を恐れていました。ギルバートが死亡した際の担当医は誰であっても、医療行為を行なう資格を剥奪する、と病院長が言明していたからです。ギルバートは、ケニア中央病院に来る全ての医師の恐ろしいアキレス腱になっていました。プロの医療行為の資格を得ようとする人には、ギルバートは資格を取得できるかどうかの試金石でもありましたし、そのために、畏れと憎しみが入り混じった形でギルバートが受け止められていたのです。 第3章 ンデル診療所 「泥棒や強盗や不誠実な人間ばかりだったら、君はどうやって自身の誠実さを持ち続けていくかね?」と、あるときギチンガ医師が私に尋ねたことがあります。 「わかりません。」と、私は正直に答えました。 「この病院では、私たちは医薬品に関して公正であるように求められているが、最高会計理事会は、医薬品の入手方法でずっと不正を働き続けてきている。」 「まさか!」 「あいつらは、俺たちのような医者には僅かしか払わないくせに、外国から来た医者には家を与え、ケニア人の医者の3倍もの給料を払ってるぞ。俺たちには使えない政府の車も使える。奴らには3ヶ月の休暇があるのに、こっちは1ヶ月ときている。それでも、あくせく汗水たらして、ただ効率良く仕事をするというわけさ。」 次の日曜日、ギチンガ医師は私を自分の村に連れて行ってくれました。ケニア中央病院から道中ぎしぎし、がーがー音を立てっぱなしのおんぼろフォルクスワーゲンに乗って、ダゴレッティ交差点、カワングワレ、ウシルを通り過ぎ、ナイロビーナクル線にやって来ました。ウシルでは、ナイロビ行きの乗り合いバスに、もう少しでぶつかりそうになりましたが。 「あれは、私が通った小学校だ。当時は、今頃億万長者になっていると夢みたものだが、ま、ごらんの通りさ。私はKCHに巣食う鼠のように、いまだにもがいてるよ。」と、ギチンガ医師は言いました。私は、物事がすべて空しく見えてしまうこの人に、何を言えばいいのかを考え始めていました。その人の病院での生活も、その人の人生観も、存在の負の部分が元になっていたのです。 「しかし、どれだけのケニア人が仕事だけでなく、車も持ってますか?何人のケニア人が医者をやってますか?」と、私はギチンガ医師にものごとの違う面を見てもらいたいと思って尋ねてみました。 「その人たちは7年もの間、解剖死体を扱ったり、臭いのきつい傷口の処置をしたり、感染の危険を覚悟で結核や淋病の患者を診たりはしてきていない。先の希望がない患者が話す哀しい話を1日中じっと座って聞いていたと言う人もいないよ。」 私は、どぶさらいやポン引きに売春婦、麻薬売人や囚人に悩まされる看守などについて話そうかとも思いました。普段は社会の底辺にいる人たちと接することが多くなる警察官の話もしたいと思いました。ひどい臭いの通りを巡回する人たち、その人たちの出来事の多い人生が社会の弱者といつもいっしょなのです、とも言いたかったのですが、言わない方がいいと思って黙っていました。 20分で、ナイロビの金持ちだけがゴルフの出来るシゴナクラブに着きました。モービルガソリンスタンドにさしかかったところで、左折してムガガに入り、そのまままっすぐ進むと、ンデルという町に出ました。私たちは、円形競技場のような市場の中央に建つ木造の建物の前で車を止めました。その表玄関には、太字で次のように書かれていました。 ンデル クリニック 医師 ワウェル・ギチンガ 医学士、化学士(マケレレ大) 私は信じられない思いでギチンガ医師を見ました。そうです、病院のこの鼠は、診療所を持っていたのです。 「若いの、ここで小遣い銭が稼げるぞ。ま、私に協力すればの話だが。政府の決定によれば、臨床の職員が診療所に人員を配置してはならず、資格のある医師が……つまり、事実上、君には資格があるし、実際の業務は、先輩の医師が教えてくれる。ンデル全体の性病患者を治療すれば、あんたの研修医の給料の2倍は稼げる。」 2人は大股でクリニックの中に入っていくと、そこには、白衣を着て聴診器をぶら下げた60歳前後の男性が、眠そうに木製椅子に座っていました。 「おはようございます、ギチュア先生。こちらはムングチ医師、これからあなたと一緒に働いてもらうことになります。」と、ギチンガ医師が口火を切った。 「おはようございます。」と言って、私はひどく痩せた手を握った時、ひどく酒臭い息を吸い込んでしまい、その場で酔ってしまいそうな気分でした。 「どうぞ、よろしく。」と、ギチュア医師は、私の心に探りを入れようとする時に昔よく父がしていたように、私をまじまじと見つめ始めました。ギチュア医師はにっこりと笑いました。どうも、私のことがすぐに気に入ったようです。私は思わず引き込まれてしまいました。酔っ払った様子もそうですが、ギチュア医師は父にそっくりだったのです。ぜい肉のない体、鋭い眼光、陽気だが、いざという時には、威厳があってかつ頑固な気質が見て取れる鋭い目つきをしていたのです。 「今回は、一緒にこの町を出て行こう。」と、ギチンガ医師が付け加えましたが、私はどういう意味なのかを図りかねて当惑してしまいました。ンデルの秘密の詮索はやめよう、と決心したものの、私はこの診療所になぜか宿命が待ち構えているような気がしたのです。 ●「ナイスピープル」(3)へ ●用語解説(2): 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