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help リーダーに追加 RSS 『地中海の空と海』(2) 最近のアルジェリア         南 美穂子

<<   作成日時 : 2009/01/07 22:40   >>

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『地中海の空と海』(2) 最近のアルジェリア              南 美穂子

  海の壁地中海をこえて
 パリからアルジェリアのオランまで十時間かかった。七時三十分発が十時三十分になってやっと出たと思ったら、トウルーズへよるのがボルドーへ寄って、警察のドキュメントを終るまで三時間。だが、満席のアルジュリア人たちは文句ひとつ言わない。ボルドーでは人相の悪い私服の下キュメントだった。「ジャポネーズ? トウリスム?フン」
 と私の顔をみつめ、一生懸命「私」について書きとめている。二人のアメリカ人とひとりのユダヤ人(国籍はわからない)がいた。あとはすべてアルジェリア人だった。想像通り、このユダヤ人がドキュメントにひっかかった。「荷物を持ってくるように」と言われ頬を紅潮させて、おとなしそうなユダヤ人は空港の警察へ出かけていった。ボルドーをとびたつと、飛行機のなかは、まるで小学生の遠足のようなさわぎになった。

 アルジェリアのお正月にむけて、ものすごい分量の荷物をもって、しかも飛行機で帰るのだから……。ほとんどの連中が座席ベルトのしめかたを知らず、トイレの水の流しかたを知らず、入国カードに自分の名前すら記入することがでぎなかった。私はあちこちからさし出される労働手帳,の項目を入国力ードにうつすという仕事を押しつけられることになった。

 オランの空港には、リュウが出迎えていた。バリではアルジェリア人ふうにみえた彼も、オークルの肌のせいかんな目つきのアルジェリア人のなかでは、まさしく東洋人だった。 入国ぽ手つづぎがわずらわしい。違う警官から同じ質問をくりかえされる。だが、アルジェリア人は女性に甘いような気がする。七人の妻を持てる回教国のせいだろうか。私は一本以上持ちこみ禁止のウイスキイを二本持ってはいった。「楽しい滞在を祈ります」と言いながら、私のウイスキイにゆく警官の視線の意昧に気づかなかった。私は、中南米を歩いて出入国のきびしさには馴れている。だが、りュウは、こんな国はアルジェリアだけだと思っている。

「泥棒が多いから気をつけなよ。それから回教徒は皆、ナイフを持ってるからね」

 とリュウがキョロキョロ.しながらささや.く。私は戦後の日本の混乱を思いうかべた。あの頃、進駐軍の連中は、「日本は泥棒が多い。子供がスリをする」といっていたものだ。とつぜん、私はチャリンコという忘れていた書葉を思いだした。

 リュウと私を乗せたタクシーは、アルジュウに向かつて、ユーカリやソテツの並木にはさまれた、根っこだけのブドー畑の道を走った。サイドミラーもなければ、ドアもきちんとしまらない。車検のきびしい日本なら、とっくにお払いばこの車である。町にはいる。白い壁とパステルカラーの青やピンクを塗った土の家は、ユカタン半島のメリダを思い起させた。ソテッの並木の幹を白く塗ってある。

 アルジュウにはいるとぎ、大ぎなサイコロのオブジェが門のように両側にあった。

「あれは、サイは投げられた…っていうんだそうだ……気をつけなよ、`回教徒は皆ナイフを持っ.ているから……」とリュウが言った。

 リュウは、アルジュウで起こったいくつかの事件から、極度にアルジェリア人に対して厭悪感と恐怖感を持っていた。私は五日間、アルジュウにいた。アルジェリアのお正月のムトン祭にぶつかって、リュウは日曜からの連休で休みだった。街を歩くと、会社の日本人やフランス人やアルジェリア人に会う。アルジェリア人と握手するとき、リュウが警戒する姿勢になっているのがよくわかった.

 アルジェリアでは、夜八時すぎに外でお酒をのめるのは外国人だけである。リュウが私を連れて行ったレストランは、いかにも過去の植民地時代の歴史を思い起こさせるようなフランス人ばかりだった。そこで私は男女のフランス人の「イラストレーダ−」に紹介された。男のほうはぶしつけないやな男だった。女のほうは印度系のマダガスカル生まれの若い女で「放浪」が趣味だったイノシシのステーキを食べて外に出ようとすると、しめきったドアをアルジェリア人のよっばらいが叩いてわめいていた。主人が「かまうな」といったふうにめくばせして、カギをあけて、よっばらいをなだめながら、私たちを外に出した。いやな光景だった。私はアルジェリア人に戦後の自分たちを見るようで胸が痛んだ。

アルジェ行きの飛行機に乗るために、私はオランに移った。星四つのオテル・マルティネスも、きらびやかなのはアラビアふうのロビイだけで、部屋は大きくても質素そのものである。メイドもおそろしいほど憂欝そうで無表情だった。「オランの街はのどかで美しい」と日本で読んだガイドブックに書いてあった。だが、私の目にうつったオランは陰気で疲れ果て、病んでいるとしか思えなかった。夜の八時になると、手品のように消えてしまうキャフェ・テラス(これも規則である)乞食、不具の人たち、病人、そして、ホテルで百ディナール紙幣の札束をつんで「小銭にくずしてくれ」とレセプションに命令している太ったア.ルジェリア人。戦時下のようにまっ暗な街のどこかにかくされている華麗な世界。だがそれは一般庶民には無縁の世界である。アルジェリア人たちは、たいていやせて、細長い顔の貧しさをおぎなうために、ひげをたくわえている。このひげはひどく象徴的にみえた。オランでの一日、私はアラビアの名残りの町トレムセンにタクシーで出かけた。往復五時間、サイドミラーなし、カーブのときにはドアがあいてしまうというものすごいタクシーで百二〇キロで南西につっ走った。だが右手にアトラスの山なみを眺め、広大な平原、巨大な空のなかを進むのは快適そのものだった。形ばかりのオート・ルートにはなんの交通標識もない。

 町が近づくとやっと標識があらわれ、車はスピードを落とす。警官が車を調べている。私はてっぎり、スピード違反、と思った。が、あとでリュウにぎくと、それは町から町への品物の移動をチェックするためだそうである。警官たちはわりあいおとなしい。「モロッコへ五四キロ」という標識がみえた。国境をこえただけで、アルジェリアとモロッコは不思議なくらいに違う。モロッコの回教徒の濃厚な雰囲気は、アルジェリアでは洗われたように消え、チュニスへ行くと、もっと薄くなる。西へ西へと移動した回教の世界は西の涯モロッコに定着して、アルジェリアはふきぬけて行ったのだろうか。王制の観光国家というモロッコの国情のためかもしれない。アレックスの故郷トレムセンも、ぞういう意味ではたのしい街ではなかった。


  アルジェ・ラ・ブランシュ
 アルジェはオランの陰に対して陽だった。失業者は多く乞食も多い。ホテルの前には小さな少女が手をさしのべて待ちかまえている。だが、ある活気と明るさがひとびとのなかにあった。タクシーでひとまず、街じゅうを走ってみるために私は広場へ出かけた。知らない街では、私はいつもこのやりかたである。タクシーの運チャンに説明をきいて、翌日から自分の足でゆっくり歩く。

 ひげをたくわえた若い運ちゃんが私をみっけて、車を近づけた。二時間半で五十ディナールの契約がなりたった。

 車をゆっくり走らせながら、この陽気な運ちゃんは説明し、アメリカ煙草を私にすすめる。私のほうはアルジェリア煙草を喫っている。友人の車がすれ違うと、彼は窓から首を出して 大声で叫び、市場のある人が密集している地域では、徒歩よりおそく車をすすめながら顔なじみの商人たちにあいさつする。彼はモノプリ、カジノ、大使館、フランス人やドイツ人たちの住居地域…エトセトラ・エトセトラ、覚えきれないほど私に教える。

 「一番美しいのは裁判所」と皮肉たっぷりに彼の言ったとおり繊細な彫りや色彩がほどこしてあってアルハンブラの宮殿を思わせた。刑務所の壁には大きな四けたの数字が出ていた。坂の上から、数字に向かっていって、「プリゾニエ五六四二、マントナン!」ただいま囚人五六四二名と彼が大声で歌う。

 カズバは、もはや観光地だった。まんなかを道路が横ぎり、低所得層の住宅ビルが建ち並んで海風にはためく洗濯物だけが、貧しさを象徴している。カズバが「城内」であるしょうこの古いアラブの城門が残り、小さなモスクがカズバらしさをみせている。石段の区域になると、運ちゃんが「友人を呼んでくるからここからは歩いてくれ、僕は待っている」と言った。その友人はものすごい老人だった。両手を天にさしあげ、早口のフランス語で説明する。モハメットみたいだな、と私は思い、ふと気づいて「ナイフを持っている?ムッシュウ」ときいた。「もちろん、マダム」と彼は答えた。カズバの女たちは、私をみると白いヴェールをひきよせて顔をかくした。私は老人の「弁舌」に対してチップをはずんだ。「今度はいつくる……」握手を求めた老人の手は呆れるほど大きかった。翌日、ひとりでカズバに出かけたとき、この老人はいなくて、広場の樹蔭でのんびりアラビア文字の新聞を読んでいるのを三日後みつけた。

 私は、運ちゃんにきいてみたいことがあった。「一九六五年……」私が言いかけると、「オオ!ベンベーラ!」という声がはねかえってきた。革命失敗のその年私はパリにいた。「彼は死んだの?」「ビアン・シュール」

 それから、彼はアルジェの街が一番美しくみえる街のはずれの丘へ私を連れていった。「リベルテ公園よりここのほうがいい、アルジェは美しい!」それから彼は、私にアルジェリア煙草を一本くれ、と言った。私たちは 煙草を交換して喫いながら、いつまでも白い美しい街を眺めた。遠くから見るかぎり、アルジェは世界で一番美しい街ではないだろうか。地中海は青く、空は晴れわたっていた。

 だが、地中海は海の壁だった。アルジェリアを離れるときのきびしいチェック。そして、オルリー空港についだとき「ナイフを忘れずにうけとって下さい」というアナウンスに、私は思わず足をとめた。きき違えかと思ったのだった。だが、ゲートのカウンターには、アルジュリア出国のとき警官のドキュメントで発見されて、飛行機あずかりになったナイフがずらりと並んでいて、アルジェリア人たちは、そのなかから自分の一本をとりだして、バリの街へ消えて行くのだった。

 フランスの支配からはぬけだしたものの、「アルジェリア人」の支配のもとに、そして経済的にはアメりカの支配のもとにはいろうとしているアルジェリア。アルジェのデラックスホテルにはアメリカ人の実業家たちでいっぱい、そして、彼らは自分たちだけのポルポールという町をつくっている。陽気なアルジェの運ちゃんは、そのことを知らなかった。                                (画家・法大卒)



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