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help RSS 『貫裕見聞録』十五

<<   作成日時 : 2010/03/19 23:21   >>

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  カトマンズ、VISA取得の十一日間。目の当たりに見る火葬

 一九九二年七月十九日。昨目の夜は星がきれいだつた。一昨日もそうだったが、ホタルポチラホラ飛んでいる。

 今目は朝御飯を食ぺると、トラックに乗ってバスのある町まで二時間ぐらい揺られた。トラックに乗るといっても、車の中に乗るのではない。荷台に乗るのでもない。実は、トラックの天井の上に座らされるのだ。時々、大きな木の枝が頭をかすめることもある。道なき道を進むので、しっかりとトラックのどこかをつかんでおかないと、右へ左へと振り回され、落とされてしまいそうだ。高いところに乗って、眺めはいいから気持ちいいと言えば、確かにそうだけれど、やっぱり危ないというか怖かった。時には小川の中をざーっと渡ったりもした。スリル満点である。町にっいてから、ネパールの首都カトゥマンドゥ行きのバスを待っこと五時間。そうして、やっと乗ったバスには延々十七時間も揺られる。道はでこぼこだし、バスはオンポロだから、ガタゴトガタゴト揺れること揺れること。一度、イスから跳ねて、天井に頭をガツンと打ちつけたこともあった。(これ、ホントの話。)ほとんど眠れんかった。

 七月二十日、午前九時にカトウマンドウに着。ラフティングを一緒にやってくれたモジョ達とはここで別れ、以前、泊まっていたスノーライオン・ゲストハウスヘと向かった。荷物は無事に保管されていた。部屋に入って久しぶりにシャワーを浴ぴる。シャワーを浴び終わってベッドにゴロンとした。
「あー、幸せでんなー!」
 
 しばらくすると、部屋のシーツを替えに女の子達がニコニコしてやって来た。彼女たちは本当に明るく快活である。言葉は通じないが身振り手振りでお話をすると、「ケラケラ」と笑って、屈託のない笑顔を振り向けてくれた。こちらの気持ちもウキウキとなった。彼女たちの笑顔は本当にすぱらしい。

 七月二十一日、インド大使館へ行く。インドVISA発行の手続きをしてもらおうと思ってやってきたのだ。が、あいにく持ち合わせのネパールルピーが少なすぎて、VISA申請の手数料が払えない。仕方かないからトラベラーズ・チェックをネパールルピーに換金してもらいに、銀行に行った。十二時過ぎに、インド大使館へ再度行ってみると、もう今日の申請受付は終わってしまっていた。ぐっすん、しょうがない。代わりにイミグレーション・オフィスに行って、ネパールVISAの一ヶ月延長をしてもらう。

 次の日インドの三ヶ月滞在VISAを取得しに、三度、インド大使館へ。すると、日本大使館への身元確認が必要であると言われ、今日はそのための日本へのTEREXをお願いするだけで終わってしまった。五日後には日本大使館から返事が来ているだろうとのこと。

 七月二十三日、町をブラブラ歩いていると貸本屋さんを見つけた。日本の吉川英治・作「私本太平記」の文庫本がある。早速、暇つぶしにこれを借りた。ネパールにはこういつた古本屋さんが時々目に付く。結構、旅行者が来ておいていくのだろう。ネパールはどっちかというとあっちこっち観光して飛ぴ回ったり、ショッピングしたりするというよりも、山をトレッキングしたり、湖にボートを浮かぺてのーんびり過ごしたりといった方が似合っている。しぱらくは散歩したり、読書をしてボーッと過ごした。

 七月二十七日、インド大使館へTELEXの返事を聞きに行く。そうすると、何としたことか、TELEXのメツセージに間違いがあってまだ送っていないとのこと。見せてもらうと、誕生目の欄に私は「1992.8.27」と旅行しているその年を書いてしまっていた。訂正してもらいに、二階の奥の部屋に行って、お偉いさんに判子を押してもらう。「1969.8.27」これでよし! !係りの人に手渡すと、
「二、三日してからまた、来い。」
とのこと。いやー、無駄な日を費やしてしまった。

 七月二十八日、パシュパティナーートというシヴァ神の祀られている寺院に行ってきた。シヴァ神というのはインドのヒンドゥー教の神様で、破壊神であると同時に創造を司る神様でもある。寺院のそばには小川が流れていて、みんなそこで身体を清めたり、洗濯したりしていた。

 ある場所では火葬が行われていた。現在の日本のような見えない火葬とは違って、昔ながらの火葬である。丸太を十段ぐらい、井形に組んで、その上に死体を置き、一日かけてこれを燃やす。キャンプファイヤーのような感じでもある。死体はほとんど黒こげになつて燃えていたが、井形からはみ出た死体の足の部分はまだ燃えずに原形をとどめていた。とても恐かつた。

 ああして、死というものが日常を一歩も離れないであることは大事なことだな、と思う。現代日本人は老いも若きもみな死を忘れ、死を目の当たりに見ないでいる。忌み嫌って隠そうとする。眼に触れないようにする。やっぱり、そういった死への対処の仕方は人生観をゆがんだものにしていくのだろう。今日、生命が大切にされないということが世の中で叫ばれているが、その要因の一つには、こうした死への排除・受容の拒絶が大きく影響しているのであろう。

 死は「土に帰る」ということである。生命、育みし大地へ帰っていくということであろう。それが真理であると規定するつもりはない。が、それがこのような丸裸の火葬においては、自然とそのように感じられる。死は生命の断絶ではない。もちろん、私たち一人一人の意誠としてはそう思われるかもしれない。でも、大いなる生命の円環の中では、大自然の営みにおいては、死は生命の一つの相にすぎない。そして、それがきっと真実なのであろう。

 みんな、もつと死をやさしく見つめよう。死は生命輝きしものの最後に落ち着くところ、大満足の境地・やすらぎある処ではないか。死が暗いもの、.冷たいもの、.恐ろしきものと感じられるのは、今の自分の生命に、生き方に充実感がないところから反顕してくるものなのであろう。死には今の自分を映す鏡としての働きがある。何故なら、そこでは嘘がつけないからである。欺けないからである。飾ることが出来ないからである。

 自己中心的な生き方は淋しいものだ。もっとやさしく、素直に生命そのものを生きよう。
「私一人が幸せであれぱ……。」
「俺一人が楽であれば……。」
みんな、こんな想いは妄念妄想である。生命の輝きから顛倒している。生命の輝きを曇らせ、暗くしているのに違いない。一人一人の個々の生命体は維持され、その自由を司るという点においては、「我あり」という自我意識は尊重されるべきものである。しかしまた、その一人一人を生み出してくれた大いなる生命の流れに合掌し、その自ずからの働きに帰依して、その願いを自ら引き受けて、その願いに生きていく、生命の響きに応じていくということも大切なんじやないだろうか。それこそ生命の働きであり、生命の輝きであり、生命の悦びなのだ。私たちはやはり、生命の土台に立って人生を生きていくものなのだ。生命を一人占めしちやいけない。

 私たちに生命を与えてくれるものは智慧の光と慈悲の涙(=潤い)である。私たちの生命を搾取し貧困にしていくものは私利私欲である。その私利私欲を捨て、智慧と慈悲を素直(=信)に受けて十分に自分たちの生命を働かせていくところに我らの人生の充実は醸し出されてくるはずだ。その活動が自利利他と呼ぱれるものだろう。この活動が円滑に為されていくとき、その(人の)死は大満足の境地へと誘われ浄土へ還帰していくこととなる。仏教ではこれを大浬禦(=大寂静)と称しているのである。

 あの井形に組まれた上で丸裸で焼かれた死体を脳裏に浮かぺ見ながら、その恐ろしい光景とそのことを何ら特別なこととせず目常の中に包み込んでいた彼らの生活を想い、こんなことを考えて、川岸をぶらぶらと歩いていつた。

 私はヒンドゥー教徒ではないので、聖所である寺院の中には入れなかつた。対岸の墓地の丘から寺院に参拝に来たヒンドゥー教徒の人たちが、香を捧げお花を捧げてお祈りしているのを眺めているだけだった。しぱらくすると、ある結髪の行者が私を呼ぴかけ、色々と親切に寺院の説明をしてくれた。彼にお布施を渡そうとすると、
「要らない。」
と、手でジェスチャーされた。
「もし、君が瞑想(=ヨガ)をしたいなら、それを教え、そのためにお金を布施していただくなら受け取るが、でなけれぱ必要ない。」と言われた。

 私はそれは断った。彼はさっきから座禅を組んでいて、時々、
「シヴァ・シヴァ・ヨーガ……」
と、っぶやいている。シヴァ神を敬い、その名を称えているのだ。ほんのつかの間、この行者と一緒にいただけだつたが、印象はとても物静かで幸せそうに見えた。何となく、欲は満たさなくても幸せになれるんだな、と恩った。

 七月三十日、またもや、インド大使館へ。これで五度目である。日本からのTELEXの返事はまだ来ていなかった。しかし、もう何度も来ているので、(身元確認でいつまでも待たせるのは可哀想だからと)君には三ヶ月のVISAをあげよう、とインド大使官の官長は言ってくれた。この人はやさしいのだ。彼のサインをもらって、その紙をVISA発行係りの人に見せる。千百ルピーを払ってパスポートを預けた。

 夕方、パス添ートを取りに行く。無事、三ケ月VISAのスタンプが押されてあった。
「よかった!」



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